ゲルギエフ指揮PMFオーケストラ・ショスタコーヴィッチ交響曲第4番ほか
ロシアを代表する指揮者の一人、ワレリー・ゲルギエフと、PMFオーケストラによるショスタコーヴィッチの大曲・交響曲4番をメインとするプログラム。PMFは、オーディションによって選ばれた前途有望な若手演奏家を、アカデミー生として募って育成する理念を持ち、バーンスタインが立ち上げた音楽祭のオーケストラ。よく夏の時期は、今回と同じサントリーホールで世界的指揮者を招聘し公演を行っている。
ゲルギエフは何年か前にも、ショスタコーヴィッチの10番をPMFと演奏しているが、この時は残念ながら行けなかった。
近年多忙なゲルギエフは、相当な数の仕事を受けまくっているようで、充分なリハーサルが出来ていないのではないか、という評判をよく聞く。最近も、ワーグナーゆかりのバイロイト音楽祭での出演で、同様の批判があった模様。
なので、大好きなショスタコの4番ではあるが、自分もそれなりに忙しいし、行こうかどうか迷ったことは迷った。やっつけ仕事になりやしないか?今回も、リハーサルの途中までは、代わりの指揮者を立てて(クリスチャン・ナップ)、最後にやっと来日、自らリハを行ったらしい。しかし、東条碩夫さんのブログの記事を見て(http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-3357.html?)代指揮者のリハの段階でもかなりの水準に仕上がっているらしいこと、ゲルギエフ自らのゲネプロでは、かなり濃密な指示を出していたらしいと知り、やはり行こうか!となった。
ショスタコーヴィッチの交響曲4番は、1935-1936年頃の作品とされるが、スターリンによる芸術家の粛清がはじまっており、前衛的で尖った本作の発表が危険だったという説もある。実際本作の初演は、年月を経てじつに1961年である。だが様々な政治的状況や大戦などの時勢を経て作風が変化する前の、アバンギャルドな彼の感性が全面的に発揮された大傑作であると思う。
さてこのコンサートは、まずドビッシー「牧神の午後への前奏曲」からはじまった。オーケストラの音色が非常に暖かみのある豊かな音だった。続くイベールのフルート協奏曲ははじめて聴く曲だったが、これも鮮やかな印象派的色彩に富む演奏だった。このPMFは、いかに有能な若手演奏家が集められたとはいえ、言うなれば急造のオケなのだが、演奏からはそんな要素は微塵も感じられないし、ゲルギエフの指導が短時間だったことも、そうと聞かなければ全くわからない。これはこの日は、メインのショスタコも含めて充実した時間になるだろうと予想した。
休憩後メインプログラムがはじまる前にアナウンスがあり、上皇・上皇后ご夫妻がご臨席された。
果たしてメインのショスタコ4番、非常に密度の高く緊張度の高いものであった。緩急の起伏の激しい曲だが、激しい場面だけでなくそうでない場面も緊張の糸が切れない。巨大なエネルギーが常にうごめいている感じで、そのエネルギーはここぞというクライマックスで爆発的になる。例えば、第一楽章の頂点で演奏される劇的なフガートなど、息もつかせないほど張りつめている。
それでいて、「牧神の午後」で感じられたオーケストラの暖かみはちゃんと継続していて、緊張感の中にも、旋律的な部分は非常に豊かである。そして演奏時間の約1時間全編を通して、チェレスタの音とともに消え入る謎めいたラストまで、異様な緊迫感は保たれ、長い沈黙の後、会場は大喝采となった。
会場で、ゲルギエフについて書かれた著作「希望を振る指揮者 ゲルギエフと波乱のロシア」という本が販売されていたので手に取っていたら、側に著者の小林和男さんがいらっしゃり、サインをいただいて購入してきた。「面白いよ!」と小林さん自らおっしゃられていたので、期待して拝読したい。
キャラバン来日公演
カンタベリー・ロックの雄、キャラバンの来日公演があるというので、川崎のクラブチッタに行ってきました。
場内、座席券は完売で椅子は目一杯設置され、立ち見のお客さんもかなりいる。
キャラバンといえば、ジャンル的には、いわゆる「カンタベリー・ミュージック」ということになるだろう。カンタベリーは、英国の東南部に位置する地方で、一度ぜひ訪れたいと思っている場所。カンタベリーのロックは、キャラバン以外ではソフトマシーン、ゴングなど、ジャズ的なセンスがベースにあるロックだが、どのアーティストもイマジネーションの豊かさがあり、遊び心が一杯で楽しい。さりげなく演奏しているようで、いつの間にか演奏がヒートアップするシーンも多々あり、柔らかなようでいてパッションに溢れている。個人的には、カンタベリーのシーンは「ひとつの国」に相当する多彩さがあって、「ジャーマン・ロック」や「イタリアン・ロック」にも匹敵する、ひとつの一大ジャンルだと捉えています。
キャラバンの唯一のオリジナル・メンバーとなったパイ・ヘイスティングは、以前のインタビューで、カンタベリーサウンドの特徴を「一番象徴しているのが、古い教会などで得られるダイナミックな反響音、アコースティックな響きを最大限に生かす幻想的なリヴァーヴ」だとコメントしている(ストレンジ・デイズ誌カンタベリー・ミュージック特集号より)。
また、「僕自身はあまり声量がないから、歌が入るとバンドは全体の音量を落とさなければならなかった。それがインスト・パートになるとヴォリュームがぐっと上がる。そうして曲に自然に緩急、ダイナミズムが生まれたんだ。それが僕たちの個性になったんじゃないかな(今回の来日パンフレットより)」とも。そう、緩急のダイナミズムこそ、キャラバンの最大の魅力だと思う。
さて、本日は休憩ありの2部構成になるとのアナウンスあり。第1部のオープニングは、そんなキャラバンの魅力が最大に発揮された名盤”グレイとピンクの地”の、タイトル曲から。そして、このアルバムからの収録曲、”Golf Girl”、“Winter Wine”,”Love To Love
You”と演奏が続く。どうやらいきなり第一部で、このアルバム完全再現をやってしまうらしい!(曲順は少し違うが)。アルバム後半の大曲”9 Feet Underground”も、惜しみなく演奏された。
キャラバンは今回がライヴ初体験だけど、リーダーのパイ・ヘイスティングはかなり大柄な人で、コンディションは良さそうだ。原曲では、元メンバーのリチャード・シンクレアの歌っていた曲もヴォーカルを取っていたが、違和感は感じなかった。キーボードのヤン・シェルハース、ベースのジム・レヴァートンはオリジナルメンバーではないが、原曲の良さを損なわないプレイで大変好感が持てた。
バンドへの貢献度が非常に高いと感じるのは、ジェフリー・リチャードソン。ヴィオラをはじめ、リードパートを含むギター、フルート、スプーンに至るまで多彩なパートをこなしていた。
ドラムは、年代的には若いマーク・ウオーカーで、彼のエネルギッシュなドラミングがバンドのドライヴ感をいい感じに増すことに成功していたと思う。
休憩をはさんだ第二部も、かっての名曲がいくつか披露され、満足度は高かったと思う。ただひとつ残念だったのは、現時点での最新作である”Paradise Filter(2013)を来日前に購入、予習しようと思ったのだが、既に日本では廃盤状態で入手できなかったこと。発売時にちゃんとゲットしておけば良かったのだが、今は店舗、通販系とも入手は困難の模様。会場物販でアーティスト持ち込みのCDがあったので、ここでやっと購入できた。後で聴いてみると、ロックテイスト溢れるなかなかいいアルバムだった。
井上道義指揮 新日本フィル・ショスタコーヴィッチ交響曲5番ほか
ショスタコーヴィチ(1906 -1974)は、ロシア~ソビエト時代を生き15曲もの交響曲を残した。中でも日本では最も有名なのが、今回の5番だろう。
自分自身、ショスタコは5番から入った。中学生の時に級友からレコードを貸してもらったのがきっかけで、スケールの大きい交響曲として、しばらくはかなり気に入っていた。
ところが後年、自分から求めて5番を聴くことはあまりなくなった。人気・知名度では劣る5番以外の曲が、あまりにもすごいことがわかってしまったからだ。若いころの、アバンギャルドにぶっとんだ作品、後年戦争体験を経てからのすさまじい描写力を持った作品、晩年の深淵を覗くような作品と比べてみると、五番はずいぶんと抑圧された曲だなあ、と。
しかし今回の新日本フィル、あえて5番の実演に行こうと思ったのは、指揮者が井上道義氏だからだ。日本のプロ指揮者でショスタコーヴィッチのシンフォニー全曲演奏に挑んだ、孤高の存在である井上氏の5番であれば、違った感触が得られるのではないか。マエストロ自身、本音では5番以外をメインプログラムに持ってきたいのだが、集客のことを考え、まあしゃあないと依頼を受けたというところかも知れないが。。
プログラム前半は、ショスタコ先生の「ジャズ組曲第一番」と「黄金時代」である。どちらも楽しい作品で、前者はバンジョーやハワイアンギターも導入した、どこかのうらぶれたバーでのダンス音楽みたいな曲、後者はサッカーをテーマにしたバレエ音楽。マエストロもノリノリである。あまりに楽しかったので、メインの5番でダウナーになる前に、前半で帰ろうかと思ったほど(笑)。
さてメインプログラムの5番、最初に井上氏のトークがあったが、「僕はこの曲ずっと嫌いだったんです!」といきなり本音をぶっ放した(笑)。しかし嫌いだったのは今まで聴いてきた演奏が悪かったのだとも。
果たして実演は、よくある、第一楽章のドラマチックな盛り上げや、第二楽章の過剰なビブラート、フィナーレでのテンポ加速などを徹底排除したものとなった。ソビエトが芸術家を弾圧するようになった時代、ショスタコーヴィッチも批判を受け音楽的な回答として作曲したといわれる5番の(この作品の発表前に、彼の友人トハチェフスキが粛正される痛ましい出来事があった)音楽に込められた違和感、歪みが浮き彫りになったと思う。違和感がちゃんと違和感として表出されたことで、むしろ表現として納得できるものになった。通常は、そこを無理にロマン派的に盛り上げたり場違いな気合いを入れたりしてしまうので、変なことになってしまうのだな、と。
という訳で、素晴らしい演奏会だった。だがこれでは、ますますこのタコ5番の、他の指揮者の演奏会に行く気が起きなくなりそうだ。もはやたいていの演奏は、途中で帰りたくなってしまうだろう。井上先生も、罪作りなことをしてくれたな、と(笑)。
アンコールはバレエ音楽の「ボルト」から。これも実に楽しかった。
そうそう、井上先生には、ぜひとも次期新国立劇場のオペラ総監督に就任して欲しいんですよ。そうなれば、若きショスタコ先生の大傑作オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」や「鼻」が上演できる!
追記:井上先生の本コンサートに関するコメントはこちら
https://www.michiyoshi-inoue.com/2019/06/_23_3.html#blog
長州力引退試合・2019/6/26後楽園ホール
長州力の試合を前回生で観戦したのは、いったいいつだっただろうか?
ふと、記憶をたどって思い出してみると、おそらく新日本プロレスの2001年東京ドーム、故・橋本真也氏との遺恨マッチ以来だった。打撃技の応酬に終始し、フォールで決着をつけようとしない、殺気立った両者の試合ぶりに藤波社長(当時)が、このままでは危なすぎると試合中止を命じ、観客が大荒れになった。あの試合以来ということは、あれからもう18年も経つのか。
長州の最初の引退・東京ドーム1998年の試合は、知ってはいたが見に行く気が起きなかった。長州1人対若手中心の5人掛けというマッチメークが当時どうにもピンと来なかったし、まあたぶん、いずれ復帰するだろうと思っていたので。ただ今回の引退試合は、もうこれで最後になるだろうと思った。長州に関してはもう復帰はないだろう。腰の重い自分だが、対戦カードが決まらなくてもチケットは早めに購入しておいた。
できれば、長州のライバルであり、今日スペシャルゲストでも来場した天龍が、オカダカズチカと最後に対戦したように、長州も今後もプロレスで活躍していくであろう、下の世代の選手とのシングルマッチで引退して欲しかった、というのは正直ある。長州との縁が深く、かつ今後もプロレスの一線に名を連ねなければいけないレスラーがいい。そういう意味では、今回の6人タッグに名を連ねている、石井か真壁とのシングルで、最後の長州を見たかった。
しかし今回のこの試合、あの武藤の復帰戦という注目点もある。改めて6人の面子を確認しておくと、長州・越中・石井組 VS 藤波・武藤・真壁組である。自分の座席位置は、長州の登場する赤コーナー側に位置する絶好の場所!
さて、果たして実際の試合のカギを握っていたのは、真壁と石井であったと思う。そして自分の感想としては、この流れでよかったんじゃないかと思っている。
試合の最初では長州、藤波が登場、長州がいきなり掟破りのドラゴンスクリューを食らわせるなど、場内も大いに沸いた。だが試合の中盤後半では、両者の目立った絡みがあったわけではない。この両者は、長州最初の引退の時に、名勝負数え歌の「エピローグ」をいったんやってしまっているし、長時間絡む必然性はあまりなかったんじゃないだろうか。武藤は、入退場時、足をかばった歩き方だったが、試合では、ブランクを感じさせないさすがの動きだった。しかし長州武藤の絡みもそれほど目立ったものがある訳ではない。最終的に印象的に残ったのは、真壁と石井の打ち合い、長州と真壁の打ち合い、そして長州に最後のとどめをさしたのは真壁だった。長州は、往年のファイトスタイルには似つかわしくなく、真壁のニードロップを耐えて耐えまくり、そして最後に力尽きた。
真壁もこれを機にもう一度ブレイクして欲しいね。
最後にマイクを取った長州だが、往年のマイクのようなピリピリとした怒気は、もはや感じられなかった。近年よく出演するようになったTVでのトークの印象に近い。奥さんをリングに上げてねぎらい、馳氏をリングに呼び、かなり和やかなムードで締め、ご本人もホッとしたのではなかろうか。いいタイミングでの引退だったと思う。
最近は「相席食堂」などの番組出演で天然発言を連発し、千鳥らの芸人にいじられる長州氏も、じつはけっこう好きだ。個人的にも、大いに笑いを取らせてもらっている。飯田橋にあるというお店も、一度行ってみたい(と思ったのですが、残念ながら閉店となったようです)。
ベルナルト・ハイティンク引退報道について
今年で90歳を迎えた巨匠指揮者のベルナルト・ハイティンクが、今年の9月をもって引退すると表明したらしい。
ハイティンクの実演は2度体験している。2013年の横浜みなとみらいホール、ロンドン交響楽団とのブルックナー交響曲第9番ほか、2015年ミューザ川崎での同じくロンドン響とのブルックナー交響曲第7番ほか、となる。
横浜でのブルックナー9番は、本当に素晴らしい演奏だった。まさに大宇宙が鳴動する、という表現が全く大げさではない、この世のものとは思えない超絶名演だった。自分の中での、このブル9番での決定的決定版であり、どの部分の解釈がどうとかの能書きなど一切必要ない、一生ものの体験となるだろう。
この時の前半プログラム、やはり昨年引退したマリア・ジョアン・ピリス、ベートーヴェンピアノ協奏曲2番も、これまた繊細で素晴らしい名演だった。
2015年、川崎でのブルックナー7番も本当にいい演奏会だった。しかし、9番のときのような超常的な凄みを感じるまでには行かなかった。彼のような巨匠指揮者の場合、通常は数年先までスケジュールが埋まっている(意思を明確にしない限り放っといてくれない)らしい。となると、今年2019年での引退を決意したのは、実はこの2015年当時の少し後なのでは?と思うと、色々と複雑な気持ちになってしまう。
ハイティンク巨匠の引退は残念であるが(最後に今一度来日公演が実現して欲しかったが・・・せめて落ち着いたら、来日講演会が実現されるといいのだが)今後は、いつかちゃんと聴こうと思っていたショスタコーヴィチの全集も勉強したい。
これで現在、90代を超えてなお、意気軒高な活躍ぶりを見せる指揮者は、もはやヘルベルト・ブロムシュテットくらいだろうか。
アレア& アルティ・エ・メスティエリ来日公演
イタリアン・ジャズロックの重鎮、”アレア“と”アルティ・エ・メスティエリ”の饗宴という、非常に豪華な公演。川崎クラブチッタでは、いわゆるプログレ系の様々なアーティストを継続して招聘し続けていて、ありがたい限り。
アレアの過去の来日公演は、2013年チッタでのマウロ・パガーニが対バンの公演、同年のニュー・トロルスと対バン公演の両方とも行っている。もちろん、往年のカリスマ・ヴォーカリストであるデメトリオ・ストラトスはこの世にいないが、パトリッツィオ・ファリゼッリら超テクニシャン達の気迫の込められたアンサンブルは、ヴォーカル不在のハンディを感じさせなかった。というよりは、ストラトスの精神が、いまだにバンドに宿っていることを充分に体感できるものだった。
アルティ・エ・メスティエリは過去数度来日しているが、ライヴは今回がはじめて。これまた超テクニシャンの集まりだが、イタリアン・ロックならではの独特のエモーショナルな感性が光っている。
出演順はアルティから。ドラマーのフリオ・キリコの、御年67とは思えない若々しさにはおどろく。肉体も相当節制して鍛錬しているのではなかろうか。メチャクチャ巧いけれど、要所要所で、パッションが盛り上がってアンサンブルを煽り立てる。タイプは違うけれど、あのジェイミー・ミューアをすら、ちょっと連想させるところがあった。
まあジャズロックとの境界もビミョーなところだけど、個人的には、フュージョンプログレ系の音はあまり好みではない。実名は出さないけれど、うまいけど、だから何?って思ってしまうケースもあったが、彼らは別物だと思う。
休憩をはさんで第二部のアレア。今回の来日での最大の変化は、女性ヴォーカリスト・クラウディア・テリーニが加入したことだろう。すでに6年前の来日で、ヴォーカルなしでも充分な存在感を見せつけていたところに、ストラトスの後釜が加入するというのは、かなりのチャレンジだったのではないかと思う。
彼女はソウルフルでパウフルなヴォーカルを聴かせてくれたと思う。ほの暗くダークな持ち味も感じられる。ストラトスのような狂気的な凄みや変幻自在さに欠けるのは仕方ないが、アレアの名曲に、新しい息吹をもたらすことに成功したのではないか。
それにしても、パトリッツィオ・ファリゼッリの鍵盤は驚異的。巧いのももちろんだが、バグパイプやサックスの音色を使って、生楽器での演奏に引けをとらない臨場感を出していた。キーボードでこれができる人は稀有だと思う。どうしても、人工くささが出てしまいがちなので。
アンコールでは、アルティのメンバーがステージに戻ってきて、アレアと共演。まずはジミヘンの”The Wind Crys Mary”だが、こういうカバーをやっても、フリオとパトリッツィオの存在感は頭抜けていた。
続いては、フランクザッパ”King Kong”のジャン・リュック・ポンティ変奏バージョン。原曲がリリースされた60年代末の時点で、これほど高度なジャズロックが演奏されていたのも驚きだが、この夜の演奏の盛り上がりもこれまた驚いた。お祭りセッション的なノリで終わるかなと不謹慎な予想を立ててしまったのだが、とんでもない!素晴らしいセッションだった。各メンバーそれぞれの見せ場もあり、大団円で、合計4時間の長丁場を終了。お見事!
平成プログレベスト10
ツイッターで、平成のプログレベスト10タイトルの投票企画がありましたので、僕ならこの10枚かな、ということで投稿しておきました。
以下、ラインアップです。
1.Mike Oldfield/Amarok
2.King Crimson/The Power To Believe
3.Tangerine Dream/長崎〜夏
4.Magma/K.A.
5.Kevin Ayers/The Unfairground
6.Gong/2032
7.Moon Safari/Lover’s End
8.Deluge Grander/August in the Urals
9.Van Der Graaf Generator/Present
10.Jethro Tull’s Ian Anderson/TAAB2(ジェラルドの汚れなき世界2)
#平成プログレベスト
いちおう、自分の中で狭義のプログレのジャンル内と認識されているものに絞りました。でないと自分の場合収集つかない。にしても、ケヴィン・エアーズあたりはジャンル的にもビミョーかな。なんか重要なタイトル忘れている気もするけどね。。
マイク・オールドフィールドの全キャリアからアルバムべスト1を選べと言われると困っちゃうけれど、「平成以降」というくくりなら、迷わず1990年のアマロックですね。1曲のみ1時間ジャストの大作アルバムですが、特にラスト15分からの高揚感が尋常じゃなく、さらにラスト1分からの大団円には心から感動がこみ上げます。あと、2017年オマドーン続編の評判は微妙っぽいようですが、自分としてはいい作品だと思っています。
キング・クリムゾンは、平成のくくりであっても1枚選ぶのは難しいけれど、アルバム全体のトータルなまとまりだと、The Power To Believeになるかな。曲単位でのベストということなら、「太陽と戦慄パート4」の、それも「しょうがない」に収録された凄まじいバージョンですね。