Ricochet

音楽ものレビュー、雑談用のブログです。2019/2/24開始。

井上道義指揮 新日本フィル・ショスタコーヴィッチ交響曲5番ほか

ショスタコーヴィチ(1906 -1974)は、ロシア~ソビエト時代を生き15曲もの交響曲を残した。中でも日本では最も有名なのが、今回の5番だろう。

自分自身、ショスタコは5番から入った。中学生の時に級友からレコードを貸してもらったのがきっかけで、スケールの大きい交響曲として、しばらくはかなり気に入っていた。

ところが後年、自分から求めて5番を聴くことはあまりなくなった。人気・知名度では劣る5番以外の曲が、あまりにもすごいことがわかってしまったからだ。若いころの、アバンギャルドにぶっとんだ作品、後年戦争体験を経てからのすさまじい描写力を持った作品、晩年の深淵を覗くような作品と比べてみると、五番はずいぶんと抑圧された曲だなあ、と。

かし今回の新日本フィル、あえて5番の実演に行こうと思ったのは、指揮者が井上道義氏だからだ。日本のプロ指揮者でショスタコーヴィッチのシンフォニー全曲演奏に挑んだ、孤高の存在である井上氏の5番であれば、違った感触が得られるのではないか。マエストロ自身、本音では5番以外をメインプログラムに持ってきたいのだが、集客のことを考え、まあしゃあないと依頼を受けたというところかも知れないが。。

 

プログラム前半は、ショスタコ先生の「ジャズ組曲第一番」と「黄金時代」である。どちらも楽しい作品で、前者はバンジョーやハワイアンギターも導入した、どこかのうらぶれたバーでのダンス音楽みたいな曲、後者はサッカーをテーマにしたバレエ音楽。マエストロもノリノリである。あまりに楽しかったので、メインの5番でダウナーになる前に、前半で帰ろうかと思ったほど(笑)。

 

さてメインプログラムの5番、最初に井上氏のトークがあったが、「僕はこの曲ずっと嫌いだったんです!」といきなり本音をぶっ放した(笑)。しかし嫌いだったのは今まで聴いてきた演奏が悪かったのだとも。

果たして実演は、よくある、第一楽章のドラマチックな盛り上げや、第二楽章の過剰なビブラート、フィナーレでのテンポ加速などを徹底排除したものとなった。ソビエトが芸術家を弾圧するようになった時代、ショスタコーヴィッチも批判を受け音楽的な回答として作曲したといわれる5番の(この作品の発表前に、彼の友人トハチェフスキが粛正される痛ましい出来事があった)音楽に込められた違和感、歪みが浮き彫りになったと思う。違和感がちゃんと違和感として表出されたことで、むしろ表現として納得できるものになった。通常は、そこを無理にロマン派的に盛り上げたり場違いな気合いを入れたりしてしまうので、変なことになってしまうのだな、と。

という訳で、素晴らしい演奏会だった。だがこれでは、ますますこのタコ5番の、他の指揮者の演奏会に行く気が起きなくなりそうだ。もはやたいていの演奏は、途中で帰りたくなってしまうだろう。井上先生も、罪作りなことをしてくれたな、と(笑)。

アンコールはバレエ音楽の「ボルト」から。これも実に楽しかった。

 

そうそう、井上先生には、ぜひとも次期新国立劇場のオペラ総監督に就任して欲しいんですよ。そうなれば、若きショスタコ先生の大傑作オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」や「鼻」が上演できる!

 

追記:井上先生の本コンサートに関するコメントはこちら

https://www.michiyoshi-inoue.com/2019/06/_23_3.html#blog

 

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