Ricochet

音楽ものレビュー、雑談用のブログです。2019/2/24開始。

高関健指揮/東京シティフィル・ブルックナー交響曲第1番ほか

ここ1か月ほどは忙しくて、なかなかコンサート、ライヴには行けなかった。3月はクラシック、ロック共興行ラッシュで、行きたいイベント、評判の良いものも色々あったが、まあ仕方ないですね。

 

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で、やっとの思いで、東京シティフィルのブルックナー1番、行ってきました。
ブルックナーは19世紀を代表する交響曲大家の一人で、9曲の大作交響曲を作曲。ただし、演奏会で取り上げられるのは3番以降が多く、1番は知名度のなさ、加えて演奏の難易度が高いとされることもあり、実演頻度は低い。しかし自分としては、作者自身が「生意気な放浪児」と呼ぶ、野性味を持ち、かつ後の大作交響曲に匹敵する威容を持つこの第1番が、大好きなのである。

ブルックナーは、同じ作品を何度も書き直しているので、複数の楽譜が存在する場合が多い。彼の取り巻きが改訂を要求したり、あまつさえ勝手に改ざんしたりした版が出回った時代があったため、ブルックナーの真意はどの譜面にあるのか?と後世、彼の真意を汲み取らんと編纂した研究家の譜面(いわゆるハース版とノヴァーク版が有名)が、これまた版によって違う。どの稿で演奏したらいいのか、いつも問題となる。同じ曲のはずでも、稿によって全く別の曲に聴こえる場合がある。

といっても自分の場合、朝比奈隆氏が大阪フィルと1970年代に録音した最初のブルックナー全集からの第1番が、曲の野性味を引き出した演奏で気に入ってしまった。この曲限定でいえば、朝比奈70S盤ばかり聴いているので不勉強ながら、他の録音との比較はあまり把握していないが。

今回、指揮者の高関氏が選んだ版は、トーマス・レイダーの最新研究校訂による2016年新全集版とのこと。

いままでこの第1交響曲の初版的に知られている1968年リンツ稿よりもさらに初期の、この曲の実演初演時の譜面を再現しようとしたものらしい。高関氏が、驚くほど違う部分がある旨予告はされていたが、実際、冒頭の入り方からして違う。細かい違いを色々聴き分けられた訳ではないが、フィナーレ第四楽章冒頭のアーティキュレーションも、コーダの大ラストも違うと思う。

主観的感覚的には、リンツ稿の方がダイナミックではあるが、高関氏が言われる通り、全体造形的な統一感では、今回の方がまとまりがあるとは思う。高関氏が、過度な表現や突っ走ったりするのを抑制したからそう感じた、というのもあるかも。まあ、今の段階では、従来のリンツ稿の方がやはり好みではあるが、何度か聴けば考えが変わるかも知れない。いずれにせよ、この日の初演版が大変興味深いものであったことは確か。いずれCDがリリースされることを期待したい。

プログラム前半の、Rシュトラウス「四つの最後の歌」、森麻希さんのソプラノがひたすら心地よかったです。

 

ご参考に、ブルックナー1番リンツ稿、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト響映像URLを貼っておきます(昨年パーヴォがN響を振った同曲実演は行きました。)

ちょうど40:00前からの、フィナーレの追い込みが好き。

https://m.youtube.com/watch?v=O8UpiWmlMTs